高校3年生③
そういえば、夏休みは、髪をブリーチして染めた。
高1の夏もそういえば染めてた。
染めた髪とエクステで髪をもりもりにしてメイクバチバチにするのが好きだったけど、今思えばすごくダサかったと思う。
恥ずかしくなる。
私は承認欲求の化け物ゆえに、それを拗らせてしまうことがよくあった。
高3はとくに過食をしてた。
毎年夏休みになると、夜ご飯を抜いてバイトを頑張ったからすぐ痩せた。
でも、学校が始まるとすぐに太った。
学校ではいつも眠くて、よく保健室に眠りに行ってた。
ある時、家の中でお父さんにくしゃくしゃに怒られて、
同じクラスの嫌いだった2こ1の女の子の家に泊まって、一緒に学校に行った。
その子もよく病んでた。
依存的だし、過干渉。
だから病んでる私にすごくお世話してくれた。
その子のお母さんも。
ありがたかった。でも嫌いだった。ごめんね。
だから卒業してからは1回も遊んでない。
ごめんね。
私は過食が止められなくて、学校の帰り道で大量にお菓子や菓子パンを買ったり、
地元のコンビニでお菓子を大量に買っては、
家で爆食いして、血糖値を上げて、そのまま寝た。
血糖値がぶち上がると、体が痛くて、内臓が痛くて、
のどが渇いて、トイレが近くて、体が悲鳴あげてるのがよく分かった。
この症状さえなかったら、たえられるのに。
たえられたら、痩せるから。
私の心はバグってた。
高3の思い出もあまり思い出せない。
なんだかんだで、卒業になった。
卒業式は、ものすごく泣いた。
でも、卒業式で泣いたんじゃなくて、私は泣いてる私を見てほしくて泣いてたと思う。
みんなとの別れは名残惜しかった。
男子クラスという優越感はとても良かったから、文系に行かなくて良かったと思った。
卒業式の日は、ななみとみほと盛大にふざけた。
楽しかった。
私立だったから、公立より早く春休みになった。
これもまた優越感だった。
髪の毛を金髪にした。
そういえば、車の教習所にも通ってた。
私がうつ病になった好きな人とたまにかぶってたから、嬉しかった。
教習所に通うのは冬だったし、すごくめんどくさかった。
高校を卒業したら、1番目のお兄ちゃんが、卒業祝いって10万円をくれた。
私はバカだからほとんど服と飲み代に使った。
飲みにばっか行ってた。
なんであんな飲みに行ってたんだろう。
飲みに行かないといけない、みたいな気持ちだった。
春休みになって、高3でクラスが離れた仲良かった男と、話したことなかった隣のクラスの男子と、みさとで飲みに行くようになった。
春休みにも私がうつ病になった好きな人にまださんざんな扱いを受けてた。
お金を貸したり、毎日電話したいからって当時のウィルコムを私は解約したから友達からわざわざ借りたのに電話してくれなかったり。
私が傷つけば傷つくほど、男は優越感に浸る。
人が傷ついたら罪悪感がわくものじゃないの?
私はなぜかみんな私が喜ぶとその私を見て笑うんだよね。
私は頭悪かったから、簡単と言われてる専門の推薦ももらえなかった。
だから一般で行った。
ファッションの専門学校を選んだ。
場所が都会にあったからなのと、デザイナーになったら自慢できそうだったから。
ただそれだけの理由だった。
ちなみに、家の中はずっとくしゃくしゃだった。
お父さんとの乱闘をよくした。
お母さんもお父さんとよく乱闘をしてた。
叫びたい殺したい燃やした壊したい、そんな気持ちでいっぱいだった。
お父さんはふとした時に、私に申し訳なさそうに話しかけてきて、お金をくれた。
私にお金を渡して嫌われないようにしてたんだと思う。
私はあんまり受け取らなかった。
小さい頃の、いらないのにキティちゃんのこれいるよね、のお父さんを思い出した。
むかつくんだよね、そういうの。
でも、お母さんには返すからってたくさんお金を借りた。
今でも返してない。
お金がない、お金がない、ずっと言われ続けた。
お父さんは、俺は嫌われてるから、と誰かに言ってるときがあった。
学校の先生だっけ。
私は罪悪感がわいた。
でも私の心は閉じたまま変わらなかった。
色んな気持ちを捨てたから。殺したから。
お父さんの存在を私の中で石にしたから。