25歳⑤

たつくんと毎回バトルしながらも、その後もたくさん色んなところに連れてってもらった。

私は、たつくんからそうやって私に尽くしてる何かを得ないと、腹が立ったし、自分が惨めにならないように必死だった。

 

私はたつくんが好き、だったんだろうか。

たつくんから、奪い取りたかったんだろうか。

たつくんを思いやる気持ちや、愛の気持ちはなかったと思う。

 

少しでもくれないと、ぶちギレた。

嫁の話や影が見えると、ぶちギレた。

 

 

たつくんはよく私を突き放した。

突き放されるたびに、私は頭がおかしくなるくらい、

自分の部屋で泣いて自分を殴ってたつくんにラインしまくった。

頭と心がおかしくなるかと思った。

狂ってた。

 

昔の恋愛依存で鬱になった時の自分がまたいた。

お母さんに、私の癇癪を笑われて鼻歌を歌われた時と同じ怒りがわいて苦しかった。

 

何度も何度も味わった。

惨めで屈辱だった。

 

嫁とは別れる気ないから。

 

じゃあなんで私に声かけたんだよ。

プレゼントはなんだよ。

じゃあなんでセックスしたんだよ!!!!

 

 

たつくんは、うるうるしたフリをして、泣けてくるから・・と言ったり、

悲しい顔をしてどっか行ったりして、

私はさらに殺意がこみあげた。

 

 

私はたつくんでいっぱいだった。

良くも悪くも。

 

友達とも遊んでたけど、昔よりかはかなり減った。

 

 

そしてまた冬が終わった。

 

 

ちなみに家の中では、おばあちゃんが施設に入ってたと思う。

おばあちゃんが施設に入ってたまに会いに行ってたけど、

私は相変わらず家族から逃げてた。

だからおばあちゃんに会うのもたまにだった。

正直、早くみんないなくなってほしいという気持ちもあった。

 

その気持ちを見るのも怖かった。

 

自分って最低だ、そう思ってた。

 

 

お母さんはお父さんといつもやりあってた。

お父さんはボケて色んなことをしでかすから。

 

トイレもよく汚い、おばあちゃんは風呂でうんこしたこともあった。

 

 

私は本当は、汚い!!!!こんなの最悪!!!!って叫びたかった。
でも、あの環境で怒っていいのはお母さんだけだったから。

 

 

家の中がいつも苦痛だった。

家の中壊したかったし、お父さんの事も殺したかったんだと思う。

お母さんも。おばあちゃんも。

 

 

でも昔から私は”諦める”しかできなかったから。

 

ただ毎日この光景で感じる感情をサッと、見なかったことにすることしかできなかった。

 

お母さんはお父さんをひっぱたいたり、怒ったり、

あはははは!!!バーカバーカ!!と言うことがあった。
おかしくなったアピールかよく分からないけど、

私はそのお母さんを本気で心配したら、こいつの思惑通りって分かってたから無視した。

 

 

いつだって私の本気で心配したり愛したりする気持ちは、利用されて、優越感のネタにされるしかなかったから。

私は良い感情も悪い感情も、全て消した。

 

 

死にたかったと思う。

でもそんなのずっとだったから。