27歳①
そんなこんなで、また春を迎えた。
この会社に来て、結構たった。
でも私は、体調がずっと悪かった。
ストレスもだし、過食がひどくて、太りたくないばかりに、血糖値を上げ続けることがやめられなかった。
心も体もボロボロで、毎日無気力で死にたくて、おかしくなってた。
私はこの会社に来てから、摂食障害を治したくて、専門の病院に通ったり、
発達障害の病院に行って診察を受けたり、いろんなことをした。
自分のために、治してあげなきゃ、そんな気持ちで行動してた。
でも結局、どれもうまくいかなかった。
あるところでは、完全にADHDと言われ、
あるところでは、生い立ちによるPTSDだと言われた。
血糖値をぶちあげたままにしてしまう事をどうしてもやめられないと医者に相談した時は、あなた死にますよ、って言われて、薬すら出してもらえなかった。
私は途中であきらめた。
私はコーヒー中毒にもなってた。
カフェインをとらないと、起きてられなかったし、体中が痛くて、それをごまかすためだった。
ひどい時は、コーヒーの飲みすぎでお腹が痛くなるから、カフェインの錠剤をそのまま飲んでた。
毎日コーヒーを買うのをやめられないし、栄養ドリンクもたくさん買った。
それでももう、体が悲鳴を上げてた。
ある時は、迷走神経反射を起こして、会社のトイレで吐きまくって、死ぬのかと思った。
仕事は正直やめたかった。
すべていったん、クリアにさせたかった。
それくらい疲れ果ててた。
潜在意識や引き寄せについて学び、ある本の著者のセミナーにもいって、
私もこういう仕事をしていきたい、と決めたことがあった。
それで毎日しんどいながらも、たくさんの事をずっと調べてた。
体は悲鳴をあげてるけど、早くここにたどりつくために、と無理をしまくった。
この仕事なんてなくて、毎日休みだったらもっと早くインプットできるのに。そう思った。
でも、私は自分でももうやばい、と思って、
4月に入院をすることにした。
血糖値を安定させるためだった。
同じ病室の患者さんは、私と同じ病気の人や、
透析の患者さんだった。
透析。
私が見たくないものだった。
このままだと確実に私はこの道をたどってしまう。
神様から見せつけられてるような気がした。
入院生活は人生の休憩としてありがたかった。
病んでたし、疲れてた。でも逃げられなかった。
今思うと、どうしてあんなに自分にムチを当て続けてたんだと思う。
仕事も、自分でやめられないから、また強制的にやめられないか、と考えてた。
そんなこんなで、退院して、また私は普通に仕事に戻った。
たつくんとは変わらず、喧嘩したり、仲直りしたりだった。
たつくんをぶちぎれさすことも多くなった。
色々うまくいかない。
私はさまよってた。
夏になって、私は痩せてたつくんを捨ててやる!!!と決意した。
そしてダイエットを死ぬほど頑張った。
そしたら、久しぶりの体重!!!てくらい痩せる事ができた。
私は自分に自信がもてた。
またたつくんとも仲直りをして、一緒にプールにいったりもした。
たつくんと平和な時は、たつくんの事が大好きで大好きでたまらなかった。
でもやっぱり、また喧嘩した。
今回こそ、もういいと思った。
そんな時、地元の先輩たちと飲んだ時に来てた女の子から連絡が来た。
男の子を紹介してもいい?とのことだった。
その女の子は、私の元カレの元セフレだったし、ビッチでヤリマンで有名だったから、あんまりいい印象がなかった。
紹介する人がいないからって私に回してきた、そんな気持ちになった。
しかも、4個下と言われた。
4個下!?!?!?!?!
私は年下と付き合ったことなかったし、4個下なんて、犯罪!?と感じるくらい抵抗があった。
私は紹介されても興味もつことないだろうし、いいやって思ったから、
あれこれ言って、断ろうとした。
でも、めんどくなったらブロックしていいから!と言われて、まあならいいかあ、と思って、紹介をひきうけた。
そしたら少しして、LINEが来た。
名前は、たくやだった。
私が拓也君と出会った瞬間だった。
26歳②
私は本当はたつくんに助けてほしかった。
辛いよねってぎゅーってしてほしかった。
俺と一緒になろうよって私を地獄から救い出してほしかった。
家は地獄。
たつくんの存在も地獄な時が多かった。
年が明けて、事件が起きた。
私がセルフでまつげエクステをつけてる時だった。
ピンセットでやらずに、素手でやってたから、
指からポトッと接着剤のついたまつげが目の中に入った。
その瞬間、激痛が走った。
痛すぎて、すぐにそのまつげを目からとった。
接着剤が私の目の中で一瞬固まって、そのままはがしたから、
角膜?まではがれてしまった。
激痛すぎて、涙が止まらなくて、大泣きした。
わんわん泣く私を見て、お母さんはすぐ緊急で病院に連れてってくれた。
もう22時くらいだった。
緊急で処置してもらって、なんとか帰って、次の日に眼科に行った。
そして、無事に治った。
まじで痛かった。
そして、年が明けた2月に、おばあちゃんが天国に行った。
老衰だった。
悲しかった。
久しぶりに身内が死んだ。
死体ってやっぱ冷たいなって思った。
お母さんは、いつもおばあちゃんのとこに通って、
寿命が長くなるように、手をつないで念を送ってた。
お母さんは、おばあちゃんのこと、大好きだったよね。
大好きで大好きで、憎しみも見たくないくらいだったよね。
だけど、お母さんはおばあちゃんと両想いじゃなかったよね。
寂しかったんでしょ、ずっと怒ってたんでしょ。
殺意をずっと見なかったよね。
私は全部、知ってたよ。
これで私は、おじいちゃんとおばあちゃんが完全にいなくなった。
お父さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんは最初からいなかったから。
親戚も、いとこもいない。
数少ない身内が、どんどんいなくなるなあって思った。
あれ、お父さんこの時まだ家にいたっけ。
週2くらいでデイサービス行ってたんだっけ。
家族の事、本当に思い出せない。
姪っ子とかも、妊娠とかの報告を受けても、全然興味がなかった。
可愛いし大好きだけど、いつの間にか生まれてるって感じだった。
私はずっと家族から逃げてたんだと思う。
記憶が全然飛んでるから。
こうやって過去を振り返ってみて本当に思う。
外側でたくさん問題作って、私は生きてたなって。
ずっと、家族から、お母さんから、お父さんから逃げてたなって。
見たくなくて、触れたくなくて、言ったところで傷つけられるだけで、
私の中で消すしかなかったんだと思う。
ああ悲しいな。悲しい。
悲しくなっちゃった。
26歳①
4月になった。
私は相変わらず仕事を続けてた。
思ったより続いた。
最初は3ヶ月の契約だったのに、ずるずるとのびていた。
今思えば、たつくんの存在があったから続けられたのだと思う。
私は仕事で嫌な仕事があった。
それは、社内放送だった。
あがり症の私にとって、1Fから7Fまで私の言葉が響くのは地獄だった。
何回も、緊張しすぎて、変な話し方になって、死にたくなった。
部署の人から、どうしたの??と言われる事がよくあった。
どうしたもこうしたもねーよ!!こんな仕事押し付けやがって!!と思った。
部内の女の人とはだいぶ仲良くなった。
みんな私がなんの害もなく、したてに出てる事から、私に好感を持ったらしい。
みんな私のことを、良い子で若くてモテる、という感じで接してくれた。
私は女の扱い方を人生を通して学んできたから。
部内の人は、みんな優しいけど、癖が強い人ばかりだった。
パワハラを平気でする人
統合失調であろう、こっちをみんな!とキレる人(私はなぜか好かれた
虚言壁がある人
仕事しないのに偉そうな上司
チームリーダーはみんな無能
いつも部長にぶちぎれられてる人
おならとげっぷを平気でして、タンをゲヘェェ!!って出して、チンポジをみんなの前で治す人
ぶりっこな40代のおばさん
精神年齢が小学生で、私に仲良くしようとしてくるわりに、私に嫉妬すると私に恥をかかせようとしたり、見下してくる女(39歳
背が高くて、私のスカートをいちいちチェックするおばさん
などなど、他にもたくさん変な人がいた。
たつくんのことも、一回ばれかけて、職場のめんどくさい人たちに質問責めされたり、噂になったけど、証拠が何もなかったから終わった。
26歳になる年は、停滞って感じだった。
何が停滞かというと、たつくんという沼から抜け出せなくてだった。
前の年よりも、会う人がだいたい限られて、人と遊ぶのも少なくなった。
たつくんに憎しみを感じながら、もう前に進まなきゃ、と思う自分もいた。
たつくんがちっとも私に本気になってくれないから、他の男と付き合って突き落としてやろうと思ってた。
だから、たくさん合コンに行って、私も合コンをセッティングしたし、
婚活パーティにもいった。
でも、何一つうまくいかなかった。
なんでなんだろう、全然いいと思える人と出会えない。
前の会社のフィーバー期はとっくにすぎさってしまった。
もっとあの時の出会いを大切にしておけばよかったと反省した。
合コンでは、会社の人から誘われて、女友達を呼んだのに、
その女の友達が空気をぶち壊して、私が恥をかくということもあった。
この時の私はまだまだまるで自分がなくて、怒りや憎しみはふつふつわくのに、
周りの意見に流されたり、友達が悪いのに怒れなくて友達に流されることがよくあった。
あいかわらず、生き辛かった。
この年もたつくんとたくさん色んなとこにいった。
数えきれないほどもめて、喧嘩して、すれ違って、殺したくもなった。
私の生霊はたくさんいってたと思う。
占いジプシーにもなった。
ヒーリングを学んだり、レイキを学んだりもした。
でも、私の人生は何も変わらなかった。
ある時、私が怒ってるのにわざと無視して、平然としてるたつくんを見て、
怒りと殺意がわきすぎて、顔がまじでぶちぎれてた時があった。
その時の顔を、同じチームのおじさんに見られた。
そのおじさんとはめちゃくちゃ仲が良かったけど、おじさんは私の顔を見てめちゃ驚いてた。
殺人鬼みたいな、怒り狂った女の霊みたいな顔してたと思う。
私はそれくらい、たつくんで心が壊れてた。
でも、たつくんと仲が戻ると、安心する自分がいた。
本当に離れそうになると、パニックを起こした。
私はまだまだ、心が傷だらけだった。
誕生日は、またたつくんがお祝いしてくれた。
また花束をもらって、焼肉を食べた。
嬉しかった。
たつくんにはここに行きたい!!とか、デートを早くするように催促したり、
自分だけが傷ついてばかりいるのが許せなくて、色々買わせたりした。
でも全然高いモノじゃないし、安くすんだ女だったと思う。
たつくんは私のことなめてたよね。
女に、お母さんに憎しみでいっぱいだったのに見ないフリしてたよね。
私は全部分かってるよ。
どの出会いの場にいってもピンとこないし、たつくんの沼から出れないしで、
毎日がたんたんとして、つまらなかったと思う。
このままどうしよう。私はそう思ってた。
26歳になる年は、本当にあまり記憶がないんだよね。
たつくんのことでいっぱい。
苦しかった、本当に。
たつくんは本当にずるかったよ。
自分がいざ逃げられるようにしてるのもバレバレだった。
嫁にばらしてやりたかったなー。
ちなみにたしかこの時はもう、おばあちゃんもお父さんも施設に入ってた気がする。
お父さんとお母さんの3人暮らしの時は、まじで地獄だった。
お母さんが今までの復讐かのように、お父さんに暴言を吐いたり、暴力したりしてたから。
あの空間を思い出すと、お母さんに殺意がわく。
私は何も言えなかったから。
何か言うと私まで被害がくるから。
ただ見て聞くしかできなかった。
だから見たくなかった。
本当はお父さんをずっとかわいそうだと思ってた。
守ってあげたいと思ってた。
私は多分、お母さんの視線がなかったら、
お父さんに微笑み返せれたんじゃないかと思う。
お母さんの目が怖かった。
そのことにずっと気づかなかった。
もっと手伝いたかったし、本当はもう優しくして上げたかった。
だって、もうわずかな気がしたから。
怖かった色々。
でも誰にも言えなかった。
家が辛いと、たつくんに言うくらいだった。
どこにも居場所がない、その人生は今も続いてた。
25歳⑤
たつくんと毎回バトルしながらも、その後もたくさん色んなところに連れてってもらった。
私は、たつくんからそうやって私に尽くしてる何かを得ないと、腹が立ったし、自分が惨めにならないように必死だった。
私はたつくんが好き、だったんだろうか。
たつくんから、奪い取りたかったんだろうか。
たつくんを思いやる気持ちや、愛の気持ちはなかったと思う。
少しでもくれないと、ぶちギレた。
嫁の話や影が見えると、ぶちギレた。
たつくんはよく私を突き放した。
突き放されるたびに、私は頭がおかしくなるくらい、
自分の部屋で泣いて自分を殴ってたつくんにラインしまくった。
頭と心がおかしくなるかと思った。
狂ってた。
昔の恋愛依存で鬱になった時の自分がまたいた。
お母さんに、私の癇癪を笑われて鼻歌を歌われた時と同じ怒りがわいて苦しかった。
何度も何度も味わった。
惨めで屈辱だった。
嫁とは別れる気ないから。
じゃあなんで私に声かけたんだよ。
プレゼントはなんだよ。
じゃあなんでセックスしたんだよ!!!!
たつくんは、うるうるしたフリをして、泣けてくるから・・と言ったり、
悲しい顔をしてどっか行ったりして、
私はさらに殺意がこみあげた。
私はたつくんでいっぱいだった。
良くも悪くも。
友達とも遊んでたけど、昔よりかはかなり減った。
そしてまた冬が終わった。
ちなみに家の中では、おばあちゃんが施設に入ってたと思う。
おばあちゃんが施設に入ってたまに会いに行ってたけど、
私は相変わらず家族から逃げてた。
だからおばあちゃんに会うのもたまにだった。
正直、早くみんないなくなってほしいという気持ちもあった。
その気持ちを見るのも怖かった。
自分って最低だ、そう思ってた。
お母さんはお父さんといつもやりあってた。
お父さんはボケて色んなことをしでかすから。
トイレもよく汚い、おばあちゃんは風呂でうんこしたこともあった。
私は本当は、汚い!!!!こんなの最悪!!!!って叫びたかった。
でも、あの環境で怒っていいのはお母さんだけだったから。
家の中がいつも苦痛だった。
家の中壊したかったし、お父さんの事も殺したかったんだと思う。
お母さんも。おばあちゃんも。
でも昔から私は”諦める”しかできなかったから。
ただ毎日この光景で感じる感情をサッと、見なかったことにすることしかできなかった。
お母さんはお父さんをひっぱたいたり、怒ったり、
あはははは!!!バーカバーカ!!と言うことがあった。
おかしくなったアピールかよく分からないけど、
私はそのお母さんを本気で心配したら、こいつの思惑通りって分かってたから無視した。
いつだって私の本気で心配したり愛したりする気持ちは、利用されて、優越感のネタにされるしかなかったから。
私は良い感情も悪い感情も、全て消した。
死にたかったと思う。
でもそんなのずっとだったから。
25歳④
たつくんと飲みながら、たつくんと色んな話をした。
たつくんは大人で、優しくて、なんかどことなくエロくて、なんだか惹かれた。
おもしろいし、ふざける私を見て何回も可愛いと言った。
私はまんざらでもなく、嬉しかった。
2件目はおしゃれなバーに行った。
大人って楽しい!!素敵!!と思った。
帰りに私はタクることにして、たつくんはそこまで私の手をつないだ。
この人既婚者だけど、こんな豪快なことしてええんか?と思った。
そっから、毎週のようにたつくんからお誘いが来るようになった。
どこかに行ったら、可愛いゼリーのおみやげを買ってきてくれたり、
私のお菓子を買ってくれたり、差し入れをしてくれたり。
こんな紳士的な人は初めて見て、私はどんどんたつくんに惹かれていった。
でも、やっぱり、近づきすぎるのは怖かった。
でも、今週はたつくん、私の事誘ってくれるかなって、ワクワクしてる自分がいた。
たつくんはいつも急に誘うから。
2人で飲んでる時、2件目くらいの時、
私は酔っぱらって、たつくんにたくさん可愛いね~♡と言いまくった。
たつくんは私がそういう事を言うと、すぐ顔を赤くして、
分かりやすく嬉しそうになるから、バカだなあと思いつつ、嬉しかった。
そしたら、キスされそうになった。
私はさすがにダメでしょって思って、拒んだ。
拒んだのに、またキスされそうになって、受け入れた。
こうやって、だんだんと距離が近くなった。
私はあんなに友達で予定を埋めたのに、お盆に燃え尽きたことをきっかけに、
みんなと遊ばなくなっていた。
たつくんは満喫に誘うようになった。
私は、たつくんは満喫に行きたいんじゃなくて、私とイチャイチャしたいからなのを分かってた。
私はたつくんにいつもほとんどお金を出させてた。
損したくない、傷つきたくない、その気持ちでいっぱいだったから。
私の好意を利用されて、奪われて、惨めな思いになってたまるもんか、と思ってたから。
たつくんはいつも出してくれた。
ある時、2人で名古屋に飲みに行った。
オイスターバーに行って、酔っぱらって、その後に暗めのあやしげな居酒屋に行った。
個室になってて、いかにもたつくんはよくこういうところを見つけ出すなあ、と思った。
私はかなりベロンベロンだったから、すぐたつくんとキスをしてしまった。
そこからずーーっとキスをした。
地元に戻って、地元の満喫に行って、朝まで一緒にいることにした。
朝までずっとキスしてた。
私は酔いすぎて、本能がままに、心の奥に沈めてた甘えたい気持ちが全開だった。
たつくんも全く嫌がらなかった。
朝を迎えて、帰る事になった。
たつくんは、昼からも遊ぼうと言った。
こんなに会ってくれるの、嬉しい!!と思った。
たくさんお金を払わせて申し訳なくもなった。
帰って、お昼になってまた合流した。
たつくんは31アイスをテイクアウトしてくれた。
テイクアウト・・・どこ行くのって思った。
たつくんにどこ行くの?と聞いたら、ホテルと言われた。
私はさすがにアカン!!!!!と思ったけど、
事前に、2回までは訴えられないと知ってたから、まあ、1回なら・・と思って同意した。
ホテルでアイス食べて、そこで初めて関係をもった。
10個上・・・私は10個上のテクにもうなんか、やばくて、やばかった。
たまんねえ!!!!!!って感じだった。
私は仕事のストレスでめちゃくちゃ太ったから、引かれるの怖かったって、
泣きながら伝えた。
たつくんはびっくりしてたけど、そんなことないよって言ってくれた。
それで、もう1回した。
私は、2回もうやってしまった・・
もう訴えられたらオワリやん・・・
や、でも、この2回はホテル2回分か・・?とか考えてた。
でもその後も、結局何回も何回もセックスすることとなった。
もう私は開き直ってた。
私はどんどん、たつくんに沼っていった。
依存していった。
私だけを見てほしい、私と結婚したいと思ってほしい。
そう思うようになった。
でも、たつくんは遊んだ次の日に急に連絡が来なくなったり、
急に近づいたり、また来なくなったりだった。
私は不安と怒りによく襲われるようになった。
私を利用したら全部バラして殺してやるからな。
って、ずっと思ってた。
たつくんとの甘い日々はそう長く続かなかった。
仕事もミスだらけで、その現実を見たくなかったし、
友達ともなんだか会いたくない、一人になりたい、
なんだか人生疲れた、
家にも帰りたくない、
私はどうにかしてでも、たつくんを手に入れたかった。
私が気持ちをぶつけるようになると、たつくんは逃げるようになった。
私が無視しても、たつくんは動じなかった。
たつくんは私が自分に依存してるのを分かった上で、そういう態度をとってる感じがした。
だから、余計に腹が立った。
たつくんを絶対に離さない。
どうにかして私に尽くさせてやる。
そんなことばかり考えてた。
色んなカフェに行ったし、ご飯をごちそうしてもらった。
私は摂食障害で夜ご飯を食べるのが怖かったけど、
たつくんのおかげで克服する事ができた。
たつくんは私がどれだけ甘えても、ベタベタしても、引いたり避けたりしなかった。
だから私は25年間できなかった甘えたい気持ちを、
たつくんと会うたびに満たしていた。
ぶりっこもしたし、3歳くらいの私がたくさんでた。
たくさんよしよししてもらって、ぎゅーってしてもらった。
私が1番求めてる事だった。
でも、何回もすれ違った。
私がなんかあると、すぐぶちギレるから。
殺意を持って、たつくんを責め倒すから。
誕生日は、私にピンクの花束をくれた。
高い焼肉をごちそうしてくれた。
嬉しかった。
スーツ姿で肉を焼くたつくんがエロくて興奮した。
大好き。
たつくんの事がだーい好きだった。
悲しかった。
たつくんは私との未来を1mmも考えてないの分かってたから。
私は殺したかった。
12月には友達の結婚式があった。
たつくんは名古屋まで迎えに来てくれた。
その後、自分の家でお酒を飲もう、嫁がいないからって言ってた。
この男まじでやべえな、と思いつつ、いいよって言った。
でも、ちょっと気が引ける、とも言った。
たつくんちに行く予定だったのに、たつくんはやっぱり体調が悪いと言った。
そして、私は家に帰された。
また期待してその気持ちを折られた。
たつくんはこういう事ばかりする。
結婚式では、自分があまりに惨めで実は泣いてた。
いろんなことを思い出して、帰ってから泣いた。
たつくんとはぶつけて喧嘩しては、また戻って仲良しになるを繰り返してた。
いつもいつも私の気持ちを無視して逃げるたつくんを許せなかった。
こんなにも傷ついてるんだぞ!!!!
お前は私を利用したんだぞ!!!
その気持ちを果たしたかった。
何度も何度もたつくんとバトルした。
この辺から、私はココナラとかにはまるようになった。
色んなことを改めて調べ尽くすようになった。
たつくんをなんとか振り向かせる。
そのことばかり考えてた。
いつも色んな情報を探してた。
心理学、インナーチャイルド、スピリチュアル、たくさん調べた。
ぜってえ振り向かせるからな。
こんな気持ちだった。
お金をいくらでも使った。
祈祷もしたし、縁結びもたつくんと嫁との縁切りもお願いしたことがあった。
占いもたくさんして、自分がいかにどうしたらいいか探った。
でも、うまくいかなかった。
この辺くらいだったと思う。
瑠史さんと出会ったのは。
私が瑠史さんに初めて依頼をした時の相談は、
私の人生がなんでこんなにもはちゃめちゃで、生き辛くて、一人になりたくて、死にたくて、殺意でいっぱいなのか、みたいな感じだった。
たつくんの事も相談した。
ここからが私の大きな人生の分岐点だったと思う。
瑠史さんのセッションは、私が言ってほしかった言葉や、知りたかったことをたくさん知れた。
私の中の魂が、これだ!!!と言ってる感じがした。
変わりたい、自分をどんどん追求したい。
ゆうきと別れてから、そう思った時があった。
本当は、こんな人生を送ってる自分を追求したいと思ってた。
でも、みんなから離れる事が、遊んでない自分になることが、
これに集中することが、なんだか怖かった。
だから後回しにしてた。
それを今から、ちゃんとする、そう決めた。
こっからたつくんとの長い戦いが始まった。
年を明けて、たつくんの誕生日を迎えた。
サプライズでお店でお祝いしたら、たつくんの顔はひきつってた。
店がいけなかったのか。
ばれたらやばいと思ったのか。
私は悲しかった。