26歳①

4月になった。

私は相変わらず仕事を続けてた。

思ったより続いた。

最初は3ヶ月の契約だったのに、ずるずるとのびていた。

今思えば、たつくんの存在があったから続けられたのだと思う。

 

 

私は仕事で嫌な仕事があった。

それは、社内放送だった。

あがり症の私にとって、1Fから7Fまで私の言葉が響くのは地獄だった。

何回も、緊張しすぎて、変な話し方になって、死にたくなった。

部署の人から、どうしたの??と言われる事がよくあった。

どうしたもこうしたもねーよ!!こんな仕事押し付けやがって!!と思った。

 

部内の女の人とはだいぶ仲良くなった。

みんな私がなんの害もなく、したてに出てる事から、私に好感を持ったらしい。

みんな私のことを、良い子で若くてモテる、という感じで接してくれた。

私は女の扱い方を人生を通して学んできたから。

 

 

部内の人は、みんな優しいけど、癖が強い人ばかりだった。

 

パワハラを平気でする人

統合失調であろう、こっちをみんな!とキレる人(私はなぜか好かれた

虚言壁がある人

仕事しないのに偉そうな上司

チームリーダーはみんな無能

いつも部長にぶちぎれられてる人

おならとげっぷを平気でして、タンをゲヘェェ!!って出して、チンポジをみんなの前で治す人

 

ぶりっこな40代のおばさん

精神年齢が小学生で、私に仲良くしようとしてくるわりに、私に嫉妬すると私に恥をかかせようとしたり、見下してくる女(39歳

背が高くて、私のスカートをいちいちチェックするおばさん

 

 

などなど、他にもたくさん変な人がいた。

 

 

たつくんのことも、一回ばれかけて、職場のめんどくさい人たちに質問責めされたり、噂になったけど、証拠が何もなかったから終わった。

 

26歳になる年は、停滞って感じだった。

 

何が停滞かというと、たつくんという沼から抜け出せなくてだった。

前の年よりも、会う人がだいたい限られて、人と遊ぶのも少なくなった。

 

たつくんに憎しみを感じながら、もう前に進まなきゃ、と思う自分もいた。

たつくんがちっとも私に本気になってくれないから、他の男と付き合って突き落としてやろうと思ってた。

 

だから、たくさん合コンに行って、私も合コンをセッティングしたし、

婚活パーティにもいった。

 

でも、何一つうまくいかなかった。

なんでなんだろう、全然いいと思える人と出会えない。

前の会社のフィーバー期はとっくにすぎさってしまった。

もっとあの時の出会いを大切にしておけばよかったと反省した。

 

 

合コンでは、会社の人から誘われて、女友達を呼んだのに、

その女の友達が空気をぶち壊して、私が恥をかくということもあった。

 

この時の私はまだまだまるで自分がなくて、怒りや憎しみはふつふつわくのに、

周りの意見に流されたり、友達が悪いのに怒れなくて友達に流されることがよくあった。

あいかわらず、生き辛かった。

 

 

この年もたつくんとたくさん色んなとこにいった。

数えきれないほどもめて、喧嘩して、すれ違って、殺したくもなった。

私の生霊はたくさんいってたと思う。

 

占いジプシーにもなった。

 

 

ヒーリングを学んだり、レイキを学んだりもした。

でも、私の人生は何も変わらなかった。

 

 

ある時、私が怒ってるのにわざと無視して、平然としてるたつくんを見て、

怒りと殺意がわきすぎて、顔がまじでぶちぎれてた時があった。

その時の顔を、同じチームのおじさんに見られた。

そのおじさんとはめちゃくちゃ仲が良かったけど、おじさんは私の顔を見てめちゃ驚いてた。

殺人鬼みたいな、怒り狂った女の霊みたいな顔してたと思う。

 

私はそれくらい、たつくんで心が壊れてた。

 

 

でも、たつくんと仲が戻ると、安心する自分がいた。

本当に離れそうになると、パニックを起こした。

 

 

私はまだまだ、心が傷だらけだった。

 

 

誕生日は、またたつくんがお祝いしてくれた。

また花束をもらって、焼肉を食べた。

嬉しかった。

 

たつくんにはここに行きたい!!とか、デートを早くするように催促したり、

自分だけが傷ついてばかりいるのが許せなくて、色々買わせたりした。

 

でも全然高いモノじゃないし、安くすんだ女だったと思う。

 

 

たつくんは私のことなめてたよね。

女に、お母さんに憎しみでいっぱいだったのに見ないフリしてたよね。

私は全部分かってるよ。

 

 

どの出会いの場にいってもピンとこないし、たつくんの沼から出れないしで、

毎日がたんたんとして、つまらなかったと思う。

このままどうしよう。私はそう思ってた。

 

26歳になる年は、本当にあまり記憶がないんだよね。

たつくんのことでいっぱい。

苦しかった、本当に。

 

たつくんは本当にずるかったよ。

自分がいざ逃げられるようにしてるのもバレバレだった。

嫁にばらしてやりたかったなー。

 

 

ちなみにたしかこの時はもう、おばあちゃんもお父さんも施設に入ってた気がする。

 

 

お父さんとお母さんの3人暮らしの時は、まじで地獄だった。

お母さんが今までの復讐かのように、お父さんに暴言を吐いたり、暴力したりしてたから。

あの空間を思い出すと、お母さんに殺意がわく。

私は何も言えなかったから。

何か言うと私まで被害がくるから。

 

ただ見て聞くしかできなかった。

だから見たくなかった。

本当はお父さんをずっとかわいそうだと思ってた。

守ってあげたいと思ってた。

 

私は多分、お母さんの視線がなかったら、

お父さんに微笑み返せれたんじゃないかと思う。

 

お母さんの目が怖かった。

そのことにずっと気づかなかった。

 

もっと手伝いたかったし、本当はもう優しくして上げたかった。

だって、もうわずかな気がしたから。

 

怖かった色々。

でも誰にも言えなかった。

 

家が辛いと、たつくんに言うくらいだった。

 

 

どこにも居場所がない、その人生は今も続いてた。