24歳①
24歳になる年の1年間は、私の人生においてとても衝撃的ではかりしれない傷を私に負わせて来た。
大きな大砲をぶち込まれた感じ。
私は人生を生きるに至って、たくさん誤作動を起こしてきたから。
誤作動を起こす私は、とにかくハプニングを大事にしてしまう事が多かった。
濃い1年だったから、たくさん書く事がある。
一つ一つ書いていこうと思う。
まず、4月になって、私の毎日にいつもゆうきがいた。
家も近い方だったし、よくゆうきの家にいた。
ゆうきのお父さんとも話したり、ゆうきの家は離婚してたから、別でお母さんも紹介された。
ゆうきはネイルが大好きな私に、いつかこの家でサロン開きなよって言ってきた。
私は、結婚を意識されてるみたいで、おもてえなって感じた。
ゆうきはお父さんと2人暮らしで、私がいつ泊まろうが、お風呂を借りようが、何も言わなかった。
誕生日には、お酒をプレゼントしたり、手作りのお菓子をプレゼントしたりした。
ゆうきは、私のこういうところをすごく好きでいてくれた。
ゆうきのお母さんは韓国人で、ゆうきは韓国のハーフだった。
ゆうきのお母さんはとても過干渉だった。
ゆうきがもっと若い時には、ゆうきに死ねとか言ってたらしい。
毒親、というのがすごく伝わった。
私には優しかった。
ゆうきにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいた。
1回、ゆうきのお母さんとお姉ちゃんとゆうきと花見に行った。
めっちゃきまずかった。
わざわざゆうきはこのために有休をとったらしいけど、ここでとらんでええわ、と心の中で思ってた。
ゆうきの周りの友達は非常に治安が悪かった。
逮捕歴のある人や、入れ墨だらけの人、平気で盗人をする人、浮気をする人、ばかりで、ゆうきのことを100信じられなかった。
でもゆうきは傷だらけで誤作動でこう生きているのも分かってて、本当は一人の人に愛されたい傷だらけの人、というのも分かってた。
ゆうきの職場の人も、聞く限り変な人ばかりだった。
衝撃だったのは、自分で自分を包丁で刺しまくる人がいることだった。
ゆうきはすごくクリエイティブな人だった。
部屋をDIYしたり、シーシャを自分で作ったり、そういうとこがなんか好きだった。
独特の世界観だった。
ゆうきの車の中のにおい、ゆうきがいつもつけてる治安悪いブラジル人みたいな香水のにおいが好きだった。
ゆうきはどこまでも病んでたと思う。
私はその、どこまでも病んでる人が作り出す、どろどろのものが好きだった。
私もその波動に一緒にひたれる気がしたから。
ゆうきと初めて会ったのは、連絡をとるようになってから、
私がクラブで終電を逃した時に、迎えに来てもらったことからだった。
ゆうきは女嫌いで、女を迎えに行くとかありえなかったけど、私には迎えに行ったと言ってた。
でも私の適当な感じが本当はめちゃくちゃイライラしてたらしい。
私はいつも、終電を逃しても誰か男に連絡すれば来てくれるもんだと思ってたし、
男が何を思おうと、使えるもんは使えばええやろ、と生きてた。
心が歪んでた。
ゆうきとはいつも何かしらでもめた。
ゆうきは道端にタンを吐くし、ポイ捨てするし、店員に暴言吐くし、
そういうところが嫌すぎて、いらいらした。
私は本当はゆうきが私を捨てる不安もあった。
子供もいたし、私だけ見てほしい私もいて、その自分に気づきたくなくて、
寂しい、本当は不安、とは言えずに、
試し行為をしたり、嫉妬させたり、遠回りなことをしてた。
ゆうきともめるたびに、ゆうきを紹介してくれた男が間に入ってくれた。
その男はだんだんと、お前らは別れた方が良いと、呆れるようになった。
私とゆうきは、いつももめるのに、離れられなかった。
典型的な共依存をしてた。
ゆうきは私を憎しみの土俵にいれるのがうまかったし、私もゆうきを憎しみの土俵にいれるのがうまかった。
私達が親に散々されてきた者同士だったから。
ゆうきと付き合いながら、私は女友達ともたくさん遊んだり、
男がいる飲み会も平気で参加してた。
嫉妬すればいい、そう思ってた。
隠そうとする気もなかったし、むしろ見ろよ、って思ってた。
共通の男友達(ハーフ)は性格悪かったから、わざと私とのツーショットをゆうきが見るのにSNSに投稿したりしてた。
私もクソだったから、ナイスゥ!って思ってた。
ゆうきは喧嘩した時、お前あいつと一緒に●●しただろって、私に怒ったことがあった。
私は最初から、束縛されたら別れるタイプだし、自由でいないと無理、と言ってたから、ゆうきは一切束縛はしなかったけど、本当は嫌だったんだと思う。
ゆうきのそういう嫉妬に、私は支配欲を感じて安心した。
明らかに男いるだろっていうバーベキューの写真ものせた。
ゆうきはすぐに女の話をしたり、元カノ話とか、誰々とやったとか、
そういう話をするからマジでうざくて、
てめえごときが女の話するんじゃねーよって思って、
私は巧妙に数倍にしてお返ししてた。
でも、今思えば、私がこんなんだから、ゆうきは私にお返ししてたのかもしれない。
私が素直に生きてれば、こんなことされなかったのかもしれない、と思う。
ゆうきの嘘はすぐわかるから、私はゆうきを信じてなかった。
だから、キャバクラに行ったんだろうな、とか、実際のところ女と会ってるんじゃないか、とか思ってた。
子供を待ち受けにしてるのも嫌だった。
私は本当はめちゃくちゃ嫉妬深いし、自分だけ見てほしいし、興味がないなんて仮面の私だった。
私だけ見てよ、そういうのが怖かった。捨てられそうで。
その気持ちを利用されそうで。
ある時、私はゆうきのヘルペスを移されたのか、今だ原因は不明だけど、
アソコがめちゃただれて、めっちゃ高熱が出て入院した。
アソコが痛すぎて、3件くらい産婦人科を回って、触られるたびに激痛で、
めちゃくちゃ泣いた。
ゆうきにてめえのせいだ、と言いたいところだった。
ゆうきはお見舞いに来てくれた。それはすごく嬉しかった。
私は高熱でフラフラで死ぬかと思った。
ある時、ゆうきとゆうきの地元の中学の友達とバーベキューをした。
そこには、同じ会社で働いてる女の子も呼んだ。
私はすぐ泥酔した。
帰りのゆうきの車でぐわんぐわんになってた。
そういえばだけど、私は彼氏ができるたびに、彼氏の前で泥酔してた。
よく嫌いにならないな、って思ってたけど、これも振られる要因だったのかもしれない。
そのバーベキューで後日、呼んであげた女の子が、ゆうきにベタベタしたことが分かった。
私はその女に殺意が芽生えた。
元々嫌いだったけど、まじで心の底から無理になったのと、
嫌いになるきっかけ、ができて嬉しかったのもあった。
会社では私とその子が話さなくなったことが広まった。
その子はもう1人の派遣の人とずっと一緒にいたけど、私は一人でかまわない、と思って、動じなかった。
不思議と、やっぱり私の方が味方が多くて、私が悪いわけがない、とみんなそう思っててくれた。
私はそこに優越感を感じてた。
会社では、ゆうきともめる度に会社で病んで、仕事どころではなかった。
隣の秘書さんにたくさん相談した。
隣の秘書さんは、本当に私に優しくて、私がどれだけミスしても、怒らなかった。
いつも申し訳なさでいっぱいだった。
大好きなんだけど、申し訳なくて、ここでも素直に歩み寄るのが怖かった。
いつも私は遠いところから近づいてはまた遠くなる、を繰り返してた。
会社の飲み会もたっくさん行った。
私はいつも呼ばれる必須メンバーだった。
ゆうきと付き合って、また痩せたから、自分に自信がもてるようになった。
仕事は、派遣だから雑用みたいなものばかりやってて、本当に嫌気がさしてた。
仕事はすごく嫌。ミスだらけだし、正直しんどかった。
でも、人がすごくあたたかかった。
でも、私はやっぱりみんなが怖かった。
でも、居心地は良かった。
そんな私は、マンネリというか、このままこの会社いいのかなーと思うようになっていた。
他の刺激がほしくなってた。
でも自分から契約を終わるのをいうのもなーと思ってた。
なんか、強制的に終わらないかな。
そんな気持ちが、本当に叶ってしまうとはここでは思ってなかった。