24歳④

私の誤作動は本当にひどかった。

同じ室の憧れの男の先輩を、酔った勢いで呼び出して、飲んで振り回したり、

元カレとまた連絡をとって、元カレの飲み会に行って、元カレを無視しながら別の男と話してお金を払わずに帰ったり、

元カレを断られるのを分かってて、お前を利用してるんだよ、のメッセージを届けたくて、帰りの迎えを頼んだりした。

腐ってた。

 

 

地元の男の先輩とよく飲むようになった。

ここと繋がることを、ゆうきが死ぬほどに嫌がるの分かってたから。

ゆうきへの復讐だった。

 

 

ゆうきが忘れられないまま、年が明けた。

年が明けて、さらなる大事件が起きた。

この年は本当に散々だったよ。よく生きてたよ私は。

 

 

同じ会社の派遣の女の子が、急に私に謝ってきた。

女の子が真剣に話してくるから、私はバカだから許してしまった。

その後に、女の子は私に相談した。

私の大好きな女の先輩と付き合ってる男が、その女の子と浮気してる、ということだった。

その女の子はさすがにやばいしひどいと思って、どうにかしたくて、という事で私に相談してきた。

私はバカだったから、すぐに許せないってなって、その女の先輩を呼び出して、2人で報告した。

でもその女の先輩は、事実をちゃんと見ないと信じれない、と言ってた。

 

 

後日、とんでもないことを知った。

その女の先輩が、その彼氏のスマホを見たことからはじまった。

私たちは女の子と浮気してると思ったのに、

発覚したのは、会社の既婚者の女性と不倫してたことだった。

女の先輩は、そのラインのデータをバックアップして、(すげえ)

本人にたたきつけたらしい。

 

 

ここから、どんどん私は巻き込まれてくことになった。

その彼氏の男が、私ともう1人の派遣の子が興味本位でそういう話を言いふらしてる、

嘘を言いふらしてる、と私たちのせいにした。

そいつはすごく人脈があったから、私は私たちの事を悪く言われると思った。

 

それと、私達は一部の女性たちから嫌われてることを知ってたから。

もう1人の女の子の方が嫌われてたけど、

会社の飲み会とかで、男と話してる私達を見て、キャバクラかよ、とか、悪口を言ってたらしい。

 

そういうのも知ってたから、私は中2のハブられ事件含め、

色んな過去がフラッシュバックして、

”何されるか分からない、突き落とされるか分からない”

という恐怖でいっぱいになった。

 

次の日から、会社が怖くなった。

同じ室にその既婚女性も、彼氏の男もいたから。

 

その彼氏と、派遣の女の子と、わたしで話し合う事になった。

でも、その男は、とぼけた。

俺は何も知らないし、何も言いふらしてないよ?って。

派遣の女の子はめちゃくちゃ怒ってた。

その男がとぼけながら、私達を見下して、心の中で笑ってる気がした。

 

その後も、私たちが何か言われてる噂を聞いた。

私は誰も信じられなくて怖かった。

同じフロアにはすぐ悪口を言いふらす女がいたし、彼氏の男はその女とすごく仲が良かったから。

 

私は会社に行きたくなくなった。

家で泣くようになった。

パニックを起こしてた。

 

そしたらお母さんが私の話を聞いて、ブチぎれた。

私はむしろお母さんのブチぎれを待ってたのだと思う。

私のチクリ病がご無沙汰に発動した。

 

 

その彼氏の男は、県の知事の息子だった。

だから、お母さんは、その事務所に電話して、あなたの息子が、という電話をした。

お母さんも頭がキレるクソ性格悪いヤツだったから、陥れ方をよく知っていた。

 

でも、私は言わせようとした反面、

急に怖くなって、なんでそこまでしたのってなった。

また中2の時の絶望を味わった。

お母さんは私に相談する前に、電話したから。

電話したのは、私が会社にいる時だった。

 

その連絡を聞いて、私は派遣の女の子にどうしよう!!
親が!!と相談した。

でも女の子は爆笑して、最高じゃん!!

私の親まじで最高だね!!ざまあみろじゃん!!と言ってた。

 

その日の帰りに、その彼氏から急に呼び出されて、

青ざめた顔と半泣きの様子で私に、事務所から私の親から連絡が来たと言われたんだけど、と言われた。

私はとぼけといた。

 

 

派遣の女の子とは、ずっと仲が悪かったのに、

この事件から急に距離が近くなった。

会社内のスカイプのチャットで、毎日悪口を送り合ったり、深い話をした。

悪口送りすぎて、私は本当にアホだから、それを彼氏の男に読まれてバラされることが何回もあった。

でも、もうなんでもいいやって感じだった。

私が誤作動起こすと、何もかもぶっ壊してしまう。

自分ごと。

 

 

その後にまた、私は陰で私の親が電話をかけてきたと言いふらされた。

親は電話でこの電話の事はお互い誰にも言わないように、と言っておいたはずなのに。

私が悪者のように、基地外のように、

私はメンヘラで頭がおかしい、と言われるようになった。

私は心が真っ暗だった。

チクリ魔といわれることは昔から恐怖だったから。

私がつくりあげた人脈が簡単にこうやって手のひら返される事も。

でも、表向きはみんな普通に接してきた。

 

でも私は怖かった。

私は頭も体も硬直して、1日に水筒を3回も倒してデスクをお茶まみれにした。

それくらいおかしくなってた。

3回目は誰も手伝ってくれなかった。

 

私はこの時、自分がADHDなんじゃないかと思ってたから、

個人的に買ったADHDにきくであろう薬を飲んでた。

その薬のせいで、めちゃくちゃ攻撃的な気持ちになって、

殺意が芽生えたり泣けてきたり、ひどいPMSみたいになってた。

それで、トイレに泣きに行った。

 

戻ってきたら、年上の派遣の女がいて、

大きな声で、どうしたのおお~~~泣いてる!!と言われた。

こいつが性格悪いのは知ってた。

全部わざとなのも知ってた。

ここで復讐されたことも分かった。

私の室の目の前でやられたから、すぐに私が泣いてるってみんなに回った。

 

 

私はもうなんか、パニックだった。

この期間の間に、部長の飲み会があって、その彼氏の男も、意地悪な女もいたけど、

優しくされればされるほど、私はパニックになった。

 

 

そして私の中で何かがぷつりと切れた。

 

 

優しくていい子で天使な私が

本当は陰で悪口を言って、人のうわさを言いふらして、

親にちくって事務所に電話させる、

そんな変なやつだと思われてる

 

その恐怖がすごかった。

 

 

色んな記憶がよみがえった。

 

 

チヤホヤされて可愛いと言われた私が

フロア全ての人から一気に手のひらを返されたような気持になった。

 

そんなこともなかったのに。

でも誰も信じられなかった。

 

 

私は壊れてたから、大好きだった女の先輩がこっそり教えてくれることも、

同じ派遣の子にツーツーに話してた。

誰かを裏切って、信用して、壊して、もう何がなんだかわからなかった。

誰かに殺されるような、そんな気もしたし、

こんなことをしてる反面、罪悪感と恐怖がすごかった。

 

 

私はもう会社に行けないと思った。

派遣の営業の人に相談して、次の日から会社に行くのをやめた。

もう1人の女の子は会社に残った。

 

次の日、午前中だけこっそり荷物をとりにいった。

秘書さんと、派遣の女の子が会いに来てくれた。

 

 

私はそこでその会社の派遣が終わった。

 

 

今でも覚えてる。

まだ癒えてもないと思う。

 

 

色んなものを一気に失った時だった。

深い傷を負った時だった。

壊れて壊れて全部壊れた瞬間だった。

 

でも、やっと会社をやめられる、そんな解放感もあった。

 

 

 

24歳③

こうやって振り返ってみると、私は本当に壊れたまま生きてたと思う。

誤作動したままずっと生きてた。

私の心と行動のチグハグの中で、相手が混乱したり、私が本当は何を思ってるのか怖くなったり、そういう姿を見るのが好きだった。

なんだろう、私に対して不安になる、そんな姿が嬉しかった。

たくさん誤作動を起こした。

たくさんみんなの前でぶっ壊れた。

引かれる事もした。

後悔も反省も死ぬほどしてきた。

こんな自分の事大嫌いだった。

表面的にしかチヤホヤしない人も大嫌いだった。

チヤホヤされる優越感と、殺意がいつもあった。

優しくされたら、裏切る事をしたくなった。

心がいつもいつもチグハグ。

でも私はこの私を操作することはできなかった。

いつもいつもこの自分で生きて、いろんなことをぶっ壊して

自分をぶっ壊す事を無意識でやめられなかった。

そんな自分にも気づけないまま、刹那的に生きた。

 

過去を振り返ると、こんなにもバグりながら、壊れてた事に改めて気づく。

そして、今も誤作動なまま生きてる自分にも気づく。

 

 

ゆうきと別れて少ししてから、連絡をしたら、会う事になった。

別れる前に約束してた花火をすることになった。

花火をして、普通に会話をした。

ゆうきの家に戻って、ゆうきが私にもたれかかってきた。

色々話してたら、ゆうきは私にこう言った。

俺、お前と戻る気ねーよ。

私は、絶望した。

絶望して、怒りと憎しみがわいた。

とっさにした行動が、泣いたフリをする、だった。

ゆうきの前で泣いた事はなかった。

1mmも涙出なかったけど、お山座りして、顔をふせて、泣いたフリをした。

ゆうきはめちゃくちゃ焦ってた。

私は別れたくないー!!って縋った。

こうしたらいいのか、どうしたらいいのか、考えたとっさの行動だった。

でも結局これは失敗となり、ゆうきの優越感となり、

私は無理やり外に出され、車に乗った。

帰る時ゆうきは、その時やってた総合格闘技の試合が終わったらまた連絡すると言った。

そのままバイバイした。

 

後日、紹介してくれた男から連絡が来た。

お前泣いて縋ったの?って。

ゆうきの口が軽いところが大嫌いだった。

その男は、私に別れを納得させるためか、こんなことを言った。

あいつはお前と付き合ってる時、元カノとご飯行ってたし、大麻吸ってたよって。

 

はえってなった。

裏切られた気持ちになって、腹が立った。

でもその男は、俺が言ったって絶対に言うなって言った。

 

私はゆうきに連絡した。

元カノと連絡とってたんでしょ?

大麻もすってたんだねって。

何が返ってきたか覚えてないけど、私はゆうきの連絡を遮断した。

私の復讐だった。

ゆうきが絶望して、あせって、怒りと憎しみでいっぱいになるのが分かってたから。

ざまーみろと思った。

 

そこからしばらく連絡は取らなかった。

ゆうきは私の地元の男の先輩のことが大嫌いだった。

私はその男の先輩たちと絡むようになった。

 

1か月くらいしてから、ゆうきの試合の日に、頑張ってねと連絡した。

私は自分のした行動が許されるもんだと思ってた。バカだから。

 

返ってきたのは、

まじできめえ!!!という暴言だった。

はえっ、ってなった。

からの、ここから大事件が起きた。

 

ゆうきからたくさんの電話が来て、出たら、

大麻のこと言ったの誰ということをキレながら言われた。

私は仕事中だったし、すごく困った。

そしたら次は、大麻のことを教えてくれた男から連絡が来た。

お前俺が言ったって言っただろ?今、誰が言ったかゆうきは候補あげてて、

俺になってる。

俺の友達関係もあるんだよ、お前どうにかしろよ

と言われた。

 

私は心が真っ暗になった。

死にたくなった。

どうしようってなった。

世界が終わったと思った。

 

その日は会社の飲み会だった。

ゆうきには、飲み会があるから今日は話せないと言った。

ゆうきは私にめちゃくちゃ暴言を吐いた。

 

ブス!!デブ!!!ブタ!!!早く連絡よこせや!!!!

 

この感じを私は知ってた。

私に殺意を向けて手のひら返した人がするやり方。

私は知ってた。手のひら返した人が、私の事をどこまでも傷つけて追い込んでくることを。

私は怖くなった。

 

 

私は普通に会社の飲み会に行った。

大麻を教えてくれた男から連絡が来た。

お前のことゆうきが探しまくってるから気をつけろよって言われた。

まじで怖かった。

ぞっとした。

でもどこかで笑ってる自分もいた。

 

 

なんとか会社の集まりは終わって、帰った。

途中でスマホの電源が切れてて、充電したらたくさん連絡が入ってた。

どうやら、ゆうきは教えてくれた男に説得されて、落ち着いたらしい。

ゆうきは大麻のことを、ゆうきが大嫌いな先輩にチクられたと思って、

殺意をその男の先輩に向けてた。

 

勇気を出してゆうきに電話した。(思わぬ駄洒落

そしたらゆうきは冷静だった。

車で私を探しながら、私を見つけたら、会社の人の前で私の事を公開処刑して散々に言わしてやりたかったらしい。

車でも引こうと思ったって言われた。

私はぞっとしたのと、きっしょって思った。

ゆうきはだんだんと感情的になった。

私はなんて言ったか覚えてないけど、大麻のことを話された犯人を言わなかったから。

元々知ってた、って言っといた。

でも、ゆうきは、まじで言え!!!ブス!!とまた怒り出した。

ゆうきは電話の向こうで、パニックを起こしてた。

イライラしてるのがすごく分かって、こわかった。

言葉で追い詰めてくるゆうきに私は、だから、言えない!!!!!って一言叫んだ。

そしたら、電話の向こうで、

あーーーー!!!!!!!と叫びながら、何かが割れた音がした。

 

(私、知ってたんだよね。

こういう人、が、何をしたらパニック起こしてぶっ壊れるか。

あんたとお父さんはウリ二つにそっくりだったから。)

 

ゆうきは電話の向こうで何か割った。

その癇癪と共に落ち着いた。

あーあ、割っちゃったよって言ってた。

ゆうきは、こういう癇癪のパニックは過去にみんなから裏切られた時に1度こうなったらしい。

 

ここから何話したかは覚えてない。

ただ、もう連絡しない、になった気がする。

SNSも消した。

 

 

間に入ってた男も、お前ら絶対にもう連絡とるな、と言われた。

私は本当はゆうきがまた私に縋りついてくるのを待ってた。

死ぬほど嫌いで殺したやりたいのに、なぜかゆうきを求めてる私がいた。

またゆうきと両想いになりたい、その気持ちもあったけど、

本当は、ゆうきをまた”支配したい”だった。

 

 

私はゆうきとの連絡が途絶えると共に、

元々心理学とか占いは知識があったけど、

引き寄せの法則や潜在意識について猛烈に勉強した。

復縁、というキーワードからそこにたどり着いた。

ココナラもここくらいから始めた気がする。

 

心理学も、ゆうきがきっかけだった。

ゆうきを調べると、アダルトチルドレンというものに繋がるし、

それを調べれば調べるほどに、私自身のことが書かれてた。

生い立ち、親、がこんなにも影響するなんて、私は知らなかったし、

こんなにも私の家庭がおかしいなんていう自覚もそこまでなかったから。

 

 

●キロ痩せる、

潜在意識をやりまくる、

風水をする、

おまじない、

とか、いろいろやった。

 

 

もう1回振り向かせたい、その気持ち一心だった。

私はどんどん壊れてた。

周りの友達からも、ゆうきはもうやめときなってすごく言われたし、呆れられた。

 

 

私の世界からゆうきがいなくなったのは、ものすごい穴だった。

私は飲み会を入れまくった。

飲んで遊んで、埋めようとした。

 

だから、私のSNSは表面的にはすごく楽しそうだった。

ゆうきの事もへっちゃらに忘れてる、そんな風に見せた。

ゆうきが見えるSNSに、わざとその姿をのせたり、

ゆうきだけが見えるように、男との写真ものせた。

 

 

私はとにかく気を引こうとしてた。

 

 

ゆうきを振り向かせようとしながら、

飲み会で休日をうめながら、

会社ではなんとか生きながら、

私は毎日を送ってた。

 

 

24歳②

室の人とも、だいぶ話せるようになった。

私は正直、仕事の量はめちゃくちゃ少ないし、暇だし、なのに仕事もできない。

だけど、許されてその場にいれた。

同じ派遣の子と派閥してたけど、たくさんの味方がいたから動じなかった。

 

 

ゆうきとはだんだん、関係が荒れていった。

ゆうきは私に、最近わがままがすぎるよ、と言うようになった。

私はゆうきの色んなことを我慢してたから、は?こいつまじ何言ってんの、と思った。

一回、ゆうきとゆうきの部屋にいるときに、ゆうきの行動で頭にきて、

キレて何も言わずに帰ろうとしたことがあった。

ゆうきは、必死に追いかけてきて謝ってきた。

私はこの展開を待ってたから、ざまあみろと思いながら、

さようなら!と言って帰った。

さようならする気なんて1mmもなかった。

ゆうきの連絡を無視した。

 

少したってから、ごめんねって連絡をした。

電話して、ゆうきが謝って、私は自分の気持ちを伝えた。

いつも伝えても分かってもらえなかったことが、そこではゆうきは受け止めてくれた。

私はよかったって、安心した。

その勢いで、お母さんが、ゆうきが待ち受けを子供にしてることを、その自分に酔ってるんじゃないのって言ってたことを伝えてしまった。

私も正直そう思ってた。

だって、養育費も払ってないし、ゆうきは自分の果てしない劣等感を、

子供を作った事で、それを自分のブランド化してるような感じがしたから。

その過去を、実は自慢のネタにしてる感じがしたから。

 

 

後日、また喧嘩した時に、ゆうきは私のそのお母さんの発言について、めちゃくちゃ怒ってきた。

お母さんとは仲良くしてたし、ご飯を食べに来たりしてた。

お母さんはゆうきによくしてくれてたと思う。

でもゆうきは、お前の母さんはまじで無理だから。と言った。

私は、私が謝るべきなのか分からなかったし、お前が悪いやんとも思ったし、お母さんは悪くないと思ったから、なんか、心が停止した。

だんだん、仲が険悪になってきた。

 

 

そういえばこの喧嘩の前に、お盆休みに、色々と事件があった。

ゆうきとは全然旅行とか行けなかったから、お盆休みに温泉を行く予定をしてた。

ゆうきはその手伝いとかしてくれなくて、イライラした。

当日も、前日遅くまで飲んでたみたいで、行きの電車で寝てて、めっちゃむかついた。

行きの電車の中で、私のデジカメをゆうきが見てたら、元カレとの写真を見られてしまった。

私はデジカメに元カレとの写真が入ってるの忘れてたけど、

うわ、ナイスやん自分、と思ってしまった。

 

 

ゆうきは寝るし、その前の日の夜からずっとイライラしてた。

飲みのメンバーに女の子がいたから。

 

 

温泉の駅について、少し歩いたところで、きっかけは忘れたけど、

私はゆうきにぶちぎれた。

持ってたゴミをゆうきに投げ捨てた。

そしたら、ゆうきはぶちぎれて、帰るか?と言ってどっかに行った。

私だって帰りたかった。最悪だった。

私だって色んな気持ちがあるのにって思った。

泣いて、いたしかたなく、ゆうきに電話して謝った。

ゆうきは私にすごい勢いでぶちぎれてきた。

私は腹が立ったけど、我慢した。

結局仲直りして、温泉街をぐるぐるして、宿に行った。

そこからは仲良しだった。

でも、ゆうきの店員さんへの対応にまたイライラした。

 

宿に泊まって、次の日に帰って、急遽ゆうきの友達と海に行く事になった。

他にも、ゆうきの質の悪い友達とみんなでクラブにもいった。

彼氏と行くクラブは最高に楽しかった。

ゆうきと離れるとすぐにナンパされるから、ゆうきがすぐ来て、

そういう感じが嬉しかった。

でもゆうきは、俺が祭り誘った時はしぶってたのに、クラブはなんで行くんだよ、と怒ってた。

うるせえな、と思った。

 

お盆の最後はゆうきと地元の祭りにいった。

一緒に浴衣を着ようと言ったら断られたけど、私は知らねーから着ろよ、と思って、家に呼んで強制的に着させた。

ゆうきは黙って着てくれた。

私はたくさん写メをとった。

ゆうきの友達とも会って、ゆうきはすごく恥ずかしそうだった。

私は彼氏と浴衣でお祭りを回るのがあこがれだったから、すごく嬉しかった。

 

 

少しして、ゆうきとまた喧嘩をした。

なんでかは覚えてないけど、お互いがものすごく溜まってたんだと思う。

ゆうきは、浴衣を着せてきた事をめちゃくちゃ怒った。

すごく嫌だったし嫌って言っただろって。

お前は俺と行きたいんじゃなくて、彼氏と行きたいだけだろって言われた。

図星だった。

図星だったから腹が立った。

私は自分を折らずに私も言い返した。

なんか、もう無理な感じがしてきた。

 

後日、ゆうきと会った時に、私は不機嫌を全開にしてた。

本当に不機嫌だったし、不機嫌で相手が気を使うという甘えもあったと思う。

ゆうきは話しかけてくれたり、歩み寄ってくれたけど、私はずっと冷たくした。

思ってたより早く、ゆうきに今日はもう帰るわって言われた。

私は、え、なんでって思った。

解散して、またイライラした。

その後に電話して、ゆうきと喧嘩した。

ゆうきは怒って、お前ずっと不機嫌だっただろ!!こっちは歩み寄ってるのにさあ!!と怒ってきた。

それを聞いて私はそうだけど・・・ってなって私も怒り返した。

認めたら、もっと責められそうで怖かったから。

 

 

そんな感じで、その電話だったか、違う日だったか分からないけど、ゆうきに振られた。

私は絶望して世界が真っ暗になった。

私だって色々尽くしたり我慢してきたのに、なんでこんな風にされるんだろう、

なんで私の気持ち分かってくれないんだろうって悲しかった。

全てを全否定された気持ちになった。

仕事どころじゃなくなった。

死にたかった。

どうにかしてでも別れたくなかった。

 

 

あ、思い出した。

振られて直接話すことになって、ゆうきの部屋で、なぜか私はずっと説教されて責められ続けた。

ゆうきはお酒飲んで、めちゃくちゃ不機嫌な顔で私を責め続けた。

お前が悪い、お前がもっとこうだったら俺は付き合ってたのに、俺はたくさん我慢した、俺の友達はお前のこと●●だって言ってたんだよ、だけど俺はそれでも好きだったのに、みたいなことをいわれた。

 

いちいち言い方がうぜーんだよ、死ねよ、うっとうしいな、そういうところがまじで無理なんだよ、そういいたかったけど、私はここで感情的になってもうまくいかないと思って、静かに聞いてた。

 

最後に私は、受け入れた上で、幸せになってね!と言ってバイバイした。

これも私の策略だった。

私はどこかでこれがゆうきの復讐だって分かってたし、別れる気がない気がしてたし、

あっさりと受け入れられることが本当は嫌ということが分かってたから。

目の前でわざとらしくおそろいのミサンガを切られて捨てられたのはうざかった。

私のお母さんのパフォーマンスとそっくりだった。

 

 

少し連絡を取らなかった。

その間に私は飲み会に行ったり、クラブに行ったりした。

心は絶望してたけど、どうにかして埋めないとと思ってた。

会社の飲み会では、元カレと別れた事、元カレが子供もちだったことをベラベラと話した。

その飲み会で泥酔して、名古屋だったから、その勢いでクラブの友達と合流した。

クラブまでの道のりで、酔いすぎてわけがわからなかったから、

知らないおじさんにクラブまで案内してって言って、手をつなぎながら連れてってもらった。

会社の人にはとんでもなく失礼な事をした。

ほんとあの時の自分が恥ずかしくて、死にたくなる。ほんと非常識で最低でごめんなさい。

でも、いつもこういう事がやめられなかった。

なぜかいつも嫌われるでしょ、という事をしてしまう。

後からすごく後悔するのに。

 

 

東京のEDMのフェスにもいった。
全部、楽しそうなことを、SNSにのせた。

ゆうきが見るの分かってたから。

 

 

あ、そういえばゆうきから振られる3日前くらいに、私は生まれて初めて浮気した。

クラブに行って、その時の私はもうヤケクソだった。

だから、帰りにだいぽんを呼んだ。

それで、そのままだいぽんの家に泊まって、そのまました。

心の中で、あーあ、やっちゃった、と思った。

もうなんか、許されないな、そんな気がした。

もちろん、ゆうきには言ってない。

ゆうきは別れる時に、私に、俺は浮気しなかったんだぞ、と言われた。

だから何、と思った。

 

 

 

24歳①

24歳になる年の1年間は、私の人生においてとても衝撃的ではかりしれない傷を私に負わせて来た。

大きな大砲をぶち込まれた感じ。

私は人生を生きるに至って、たくさん誤作動を起こしてきたから。

誤作動を起こす私は、とにかくハプニングを大事にしてしまう事が多かった。

濃い1年だったから、たくさん書く事がある。

一つ一つ書いていこうと思う。

 

 

まず、4月になって、私の毎日にいつもゆうきがいた。

家も近い方だったし、よくゆうきの家にいた。

ゆうきのお父さんとも話したり、ゆうきの家は離婚してたから、別でお母さんも紹介された。

ゆうきはネイルが大好きな私に、いつかこの家でサロン開きなよって言ってきた。

私は、結婚を意識されてるみたいで、おもてえなって感じた。

ゆうきはお父さんと2人暮らしで、私がいつ泊まろうが、お風呂を借りようが、何も言わなかった。

誕生日には、お酒をプレゼントしたり、手作りのお菓子をプレゼントしたりした。

ゆうきは、私のこういうところをすごく好きでいてくれた。

ゆうきのお母さんは韓国人で、ゆうきは韓国のハーフだった。

ゆうきのお母さんはとても過干渉だった。

ゆうきがもっと若い時には、ゆうきに死ねとか言ってたらしい。

毒親、というのがすごく伝わった。

私には優しかった。

 

ゆうきにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいた。

1回、ゆうきのお母さんとお姉ちゃんとゆうきと花見に行った。

めっちゃきまずかった。

わざわざゆうきはこのために有休をとったらしいけど、ここでとらんでええわ、と心の中で思ってた。

 

ゆうきの周りの友達は非常に治安が悪かった。

逮捕歴のある人や、入れ墨だらけの人、平気で盗人をする人、浮気をする人、ばかりで、ゆうきのことを100信じられなかった。

でもゆうきは傷だらけで誤作動でこう生きているのも分かってて、本当は一人の人に愛されたい傷だらけの人、というのも分かってた。

ゆうきの職場の人も、聞く限り変な人ばかりだった。

衝撃だったのは、自分で自分を包丁で刺しまくる人がいることだった。

 

ゆうきはすごくクリエイティブな人だった。

部屋をDIYしたり、シーシャを自分で作ったり、そういうとこがなんか好きだった。

独特の世界観だった。

ゆうきの車の中のにおい、ゆうきがいつもつけてる治安悪いブラジル人みたいな香水のにおいが好きだった。

ゆうきはどこまでも病んでたと思う。

私はその、どこまでも病んでる人が作り出す、どろどろのものが好きだった。

私もその波動に一緒にひたれる気がしたから。

 

ゆうきと初めて会ったのは、連絡をとるようになってから、

私がクラブで終電を逃した時に、迎えに来てもらったことからだった。

ゆうきは女嫌いで、女を迎えに行くとかありえなかったけど、私には迎えに行ったと言ってた。

でも私の適当な感じが本当はめちゃくちゃイライラしてたらしい。

私はいつも、終電を逃しても誰か男に連絡すれば来てくれるもんだと思ってたし、

男が何を思おうと、使えるもんは使えばええやろ、と生きてた。

心が歪んでた。

 

ゆうきとはいつも何かしらでもめた。

ゆうきは道端にタンを吐くし、ポイ捨てするし、店員に暴言吐くし、

そういうところが嫌すぎて、いらいらした。

私は本当はゆうきが私を捨てる不安もあった。

子供もいたし、私だけ見てほしい私もいて、その自分に気づきたくなくて、

寂しい、本当は不安、とは言えずに、

試し行為をしたり、嫉妬させたり、遠回りなことをしてた。

 

ゆうきともめるたびに、ゆうきを紹介してくれた男が間に入ってくれた。

その男はだんだんと、お前らは別れた方が良いと、呆れるようになった。

 

私とゆうきは、いつももめるのに、離れられなかった。

典型的な共依存をしてた。

 

ゆうきは私を憎しみの土俵にいれるのがうまかったし、私もゆうきを憎しみの土俵にいれるのがうまかった。

私達が親に散々されてきた者同士だったから。

 

 

ゆうきと付き合いながら、私は女友達ともたくさん遊んだり、

男がいる飲み会も平気で参加してた。

嫉妬すればいい、そう思ってた。

隠そうとする気もなかったし、むしろ見ろよ、って思ってた。

共通の男友達(ハーフ)は性格悪かったから、わざと私とのツーショットをゆうきが見るのにSNSに投稿したりしてた。

私もクソだったから、ナイスゥ!って思ってた。

 

ゆうきは喧嘩した時、お前あいつと一緒に●●しただろって、私に怒ったことがあった。

私は最初から、束縛されたら別れるタイプだし、自由でいないと無理、と言ってたから、ゆうきは一切束縛はしなかったけど、本当は嫌だったんだと思う。

ゆうきのそういう嫉妬に、私は支配欲を感じて安心した。

 

明らかに男いるだろっていうバーベキューの写真ものせた。

 

ゆうきはすぐに女の話をしたり、元カノ話とか、誰々とやったとか、

そういう話をするからマジでうざくて、

てめえごときが女の話するんじゃねーよって思って、

私は巧妙に数倍にしてお返ししてた。

でも、今思えば、私がこんなんだから、ゆうきは私にお返ししてたのかもしれない。

私が素直に生きてれば、こんなことされなかったのかもしれない、と思う。

 

 

ゆうきの嘘はすぐわかるから、私はゆうきを信じてなかった。

だから、キャバクラに行ったんだろうな、とか、実際のところ女と会ってるんじゃないか、とか思ってた。

子供を待ち受けにしてるのも嫌だった。

私は本当はめちゃくちゃ嫉妬深いし、自分だけ見てほしいし、興味がないなんて仮面の私だった。

私だけ見てよ、そういうのが怖かった。捨てられそうで。

その気持ちを利用されそうで。

 

 

ある時、私はゆうきのヘルペスを移されたのか、今だ原因は不明だけど、

アソコがめちゃただれて、めっちゃ高熱が出て入院した。

アソコが痛すぎて、3件くらい産婦人科を回って、触られるたびに激痛で、

めちゃくちゃ泣いた。

ゆうきにてめえのせいだ、と言いたいところだった。

ゆうきはお見舞いに来てくれた。それはすごく嬉しかった。

私は高熱でフラフラで死ぬかと思った。

 

 

ある時、ゆうきとゆうきの地元の中学の友達とバーベキューをした。

そこには、同じ会社で働いてる女の子も呼んだ。

私はすぐ泥酔した。

帰りのゆうきの車でぐわんぐわんになってた。

そういえばだけど、私は彼氏ができるたびに、彼氏の前で泥酔してた。

よく嫌いにならないな、って思ってたけど、これも振られる要因だったのかもしれない。

 

そのバーベキューで後日、呼んであげた女の子が、ゆうきにベタベタしたことが分かった。

私はその女に殺意が芽生えた。

元々嫌いだったけど、まじで心の底から無理になったのと、

嫌いになるきっかけ、ができて嬉しかったのもあった。

会社では私とその子が話さなくなったことが広まった。

その子はもう1人の派遣の人とずっと一緒にいたけど、私は一人でかまわない、と思って、動じなかった。

不思議と、やっぱり私の方が味方が多くて、私が悪いわけがない、とみんなそう思っててくれた。

私はそこに優越感を感じてた。

 

 

会社では、ゆうきともめる度に会社で病んで、仕事どころではなかった。

隣の秘書さんにたくさん相談した。

隣の秘書さんは、本当に私に優しくて、私がどれだけミスしても、怒らなかった。

いつも申し訳なさでいっぱいだった。

大好きなんだけど、申し訳なくて、ここでも素直に歩み寄るのが怖かった。

いつも私は遠いところから近づいてはまた遠くなる、を繰り返してた。

 

 

会社の飲み会もたっくさん行った。

私はいつも呼ばれる必須メンバーだった。

ゆうきと付き合って、また痩せたから、自分に自信がもてるようになった。

仕事は、派遣だから雑用みたいなものばかりやってて、本当に嫌気がさしてた。

 

 

仕事はすごく嫌。ミスだらけだし、正直しんどかった。

でも、人がすごくあたたかかった。

でも、私はやっぱりみんなが怖かった。

でも、居心地は良かった。

そんな私は、マンネリというか、このままこの会社いいのかなーと思うようになっていた。

他の刺激がほしくなってた。

でも自分から契約を終わるのをいうのもなーと思ってた。

なんか、強制的に終わらないかな。

 

そんな気持ちが、本当に叶ってしまうとはここでは思ってなかった。

 

 

23歳⑤

23歳についてまた思い出したことがある。

 

家の中では、たしくおばあちゃんとお父さんが両方認知症がだんだんとひどくなっていった。

両方同じタイミングで、お漏らしをするようになってたと思う。

それでお母さんがいつも発狂してぶちギレてた。

 

お父さんもおばあちゃんも中々いう事をきかなかった。

だからお母さんはいつも怒ってた。

お父さんとおばあちゃんにやり返すように意地悪をして笑ってたりもした。

私はそこに言いたい事がたくさんあったけど、自分もまためんどうな事になる気がして、ぐっとこらえた。

 

毎日毎日見たくない光景だった。

家に帰りたくなかった。

お母さんを全く手伝わなかった。

そんな自分をずっと責めてた。最低だなって思ってた。

だから、最低なら最低のまま最低な生き方をしようと思ってた。

 

 

家の中の事は誰にも言えなかった。

周りからしたら、私はいつも遊んでて何も考えてなくて、人生楽しそうなやつだったと思う。

孤独だった。

孤独な自分にも気づかないくらい、外側でうめようとしてた。

 

 

そういえば、高校からの友達のハーフとゆうきは知り合いだった。

知り合いだったからこそ、やっかいだった。

ハーフは意地悪で、平気で私の顔に泥を塗る事をいうし、すぐ馬鹿にしたりしてくるから。

ゆうきにやきもちやかそうと、ゆうきの前で私にベタベタしてきたこともあった。

私もゆうきがやきもちやくの分かってたから、嫌がらなかった。

 

 

色々、心がくるってた。

人が傷ついたりやきもちやく瞬間が、快感だった。

私はそうやって色んな人から奪っては満たそうとしてたんだと思う。

 

そういえばゆうきと、同じ派遣の同い年の子が同じ中学だった。

今思うと、縁ってすごいなあって思う。

あのタイミング、あの縁。全て意味があったんだなあって。

 

 

私はゆうきと付き合いながら、ゆうきを恥ずかしい存在だと思ってた。

お父さんの時のように。

 

これから、私が人生においてまた心がえぐられるような事が続くなんて思ってなかった。

私は刹那的に、目の前の楽しみや快楽を選ぶことしかできなかった。